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学長の言葉



1 「出会い」の場をひらく、そして我慢強く

名古屋外国語大学(NUFS)に学ぶすべての学生たちに伝えます。
人は、何のために学ぶのか。

答え。人は、生きる糧を得るために学ぶ。

では、何のために生きるのか?

改めてそう問われたなら、私は答えたいと思います。
生きることの喜びを確認するために生きる、と。確認できたときに、人間の生命ははじめて価値をもつ、と。
では、どうすれば、喜びや幸せは手にできるのか。喜びや幸せを手にするには、みずからの力で、「出会い」の場を切り拓く勇気をもたなくてはいけません。その努力を惜しんでいては、けっして手に入らないのです。
何よりも勇気を持つこと、物怖じしないこと。自分には力があると信じること。それが大切です。

私のモットーは、単純です。
「石の上にも三年」といいますが、「石の上にも四年」、すでに立派な才能の証です。
Be patient. It takes time to accomplish something worthwhile.

2 6つの能力

過去20年近く、私たちの日本でしきりに叫ばれている言葉があります。
「グローバル人材(Global Human Resources)」という言葉です。しかし、私は、名古屋外国語大学に学ぶ学生に対し、「グローバル」ではなく、「世界」を冠した「世界人材(World Human Resources)」を新たな人材像として改めて提示したいと思います。「世界人材」これは、世界の多元性、多文化性に深い理解力をもち、同時に批判的思考、そして共感力に優れた人材です。
2011年三月の東日本大震災以降、私たちが暮らす日本の社会全体に閉塞感が強まりはじめました。それに追い打ちをかけるかのように、コロナ禍は、ますます私たちの多くを孤独な殻のなかに追い込み、そこでの安住が習慣となりました。しかしこのまま殻のなかに安住しつづけていては、日本はおろか、私たち自身の未来もありません。この状況を打開する道は、世界に対してどん欲な好奇心をもち、その多元的な価値をしっかりと認識することです。そのために何よりも必要とされるのが、外国語の運用能力であり、幅広い教養です。外国語は、英語+α。「桃李成蹊」という中国の故事をご存じでしょうか。桃や李(すもも)は言葉を発することはない、しかし、その香しい香を発する果実をもとめて、人々は集い、その木の下にはおのずと道はできる、の意味です。教養とは、まさにこの故事に伝わる「桃」や「李」を言うのです。豊かな教養に裏打ちされた、気品あふれる教養人の周りには人々が集います。桃と李、それが、私たちの大学が理想とする人間像のイメージです。教養を侮ってはいけません。なぜならば、どんな先端的な知であれ、それらはいつしか教養として人々の脳と心に定着していくのですから。教養には、二千年の人類の歴史が培った膨大な知が埋め込まれているのです。目先の新しさに目を奪われてはいけません。
では、「世界人材」とは、どのような人材を言うのでしょうか。

グローバル社会とは、勝つことを至上の価値とみなす「競争」社会です。地球社会はこれほどにも巨大な広がりをもちながら、時として勝者が一人しかいない、という恐ろしい状況を生み出します。これが、グローバル社会の負の側面です。それに対抗する理念が、世界なのです。地球上に住む人々の平和的な「共生」なくして、どのような勝利も喜びも持続的な幸福を約束してはくれません。私たちの多くが、この矛盾した状況のなかで、悩み、苦しみながら、生きているのです。「世界人材」とは、自分の心のうちに、文化的な背景を超えて、複数のナショナル・アイデンティティを根付かせることのできる人材です。
「世界人材」の育成のために求められているのは

第一に、幅広い「教養力」であり、その上に培われた高い「専門的知見」です。そしてその双方を支えるのが、高度な外国語運用能力なのです。生成AIが、自動翻訳がどんなに進化しようと、人間が「話す人間」であるかぎりにおいて、母語と外国語は、人間の営みにおいて根源的な価値をもちつづけます。そして、自分の持てる教養知と専門的な知見を、母語と外国語で発信できる能力の持ち主こそが、私が理想とする真の「世界人材」ということができるのです。
では、皆さんが、一個の社会人として生き抜いていくうえで求められる具体的な「ちから」とは、何でしょうか。私はここで6つの「力」を掲げたいと思います。

• 対話力(コミュニケーション力)
• 活力(アクティヴィティ)
• 創造性(クリエイティヴィティ)
• 共感力(エンパシー)
• 協調精神(コオペレーション)
• 貢献の意識(コントリビューション)
これら6つの能力、資質、精神、そして意識が、「世界人材」として世界を舞台に広くはばたくために必要とされるものであり、それらは、同時に、NUFSに学ぶ皆さんが、大学での学びで獲得すべき「(能力)ちから」でもあるのです。

3 真の教養人となるために――「批判的思考」と「共感力」を育てる

大学は、しばしば、「批判的思考(critical thinking)」を鍛える場であるとされています。

「批判的思考」とは

みずからの経験をとおして得た知識や情報を、客観的かつ冷静に吟味・選別し、分析し、総合することを通して、将来におけるみずからの行動の指針とするための思考力をいいます。「批判的思考」は、今日のような厳しい競争社会にあって、しっかりと地に足をつけて戦いぬくために不可欠の道具です。まさに自立のための最大の武器といってもよいでしょう。
しかし、私たちは同時に、世界の人々との平和的な共生という理想にもしっかりと目を向けなくていけません。生きる喜びを共有することができてはじめて、個人として自立することの価値が生まれるからです。
では、「共生」のために不可欠な「ちから」とは、何でしょうか。それは、いうまでもなく、他者の喜びや苦しみに素直に一体化できる「共感力(エンパシー)」(empathy)です。私は、相手の痛みに対する思いやりの大切さと、人々のために役に立ちたいという素朴な願いを学生一人一人の心のうちに育てたいと念じています。
「協調精神」も、「社会貢献の意識」も、出発点となるのが、この「共感力」です。

「共感力」は、文学や芸術にたいする想像力も育てます。

「共感力」は、文学や芸術に深い造詣をもち、人々と素直に喜怒哀楽を分かちあい、同時に、地球社会のマクロな動きについて語ることのできる、世界人材の真骨頂ともいうべき資質です。

4 NUFSでの学び

NUFSは、世界に向かってみずからを発信できる人間を育てるため、ありとあらゆる努力を払います。

NUFSにおける「学び」のもっとも大事な点

一人ひとりの学生の能力や資質や志に、もっとも適合した教育を提供することです。すべての能力の礎にあるのは、私たちが日々使いつづけている日本語であり、日々の暮らしであり、風土そして文化です。外国語の学びと並行して、日本語の基本をしっかりと身につけてほしいと思います。社会人として胸を張って生きていくには、英語と同様、正確な日本語の運用能力すなわち、読み、書き、聴く、話す、のバランスのとれた能力が欠かせません。
NUFSでは、学生ひとり一人のうちに隠された発信力をキャッチし、相手に確実にそれを伝えることのできる能力、真の意味でのコミュニケーション能力を鍛えることを大きな目標としています。

NUFS

140名のネイティブスピーカー教員(全教員数のじつに60%)を擁する日本でも有数のinternational な大学です。日本人学生と、世界各地から招かれた外国人の先生や留学生が集いあう光景は、まさにインターナショナルの名を冠するにふさわしいキャンパスといえるでしょう。この恵まれた環境から、上に掲げた6つの「ちから」を、いや、学びうるすべてのものを吸収してください。

私たち日本人は、往々にして情緒に流され、何かしらしっかりとした目的意識を持って話すことを苦手としていますが、本学での学びが目標とするのは、実践的かつすぐれて対話的な性格を帯びた語学力です。豊かな教養に裏打ちされた専門的な知識をしっかり相手に届けることのできる語学力、Q&A型のコミュニケーションではなく、問題解決に向け、創造的な議論へと発展させられる語学力を育てたいと願っています。
とにもかくにも、失敗を恐れないこと。物怖じは大敵です、文字通り、「失敗は成功のもと」(Failure is a stepping-stone to success)なのです。

おわりに

NUFSのアイデンティティは、「言葉」です。

「言葉」とは

可能性という名の大地を耕す鋤にして、大地の実りそのもの。同時にまた、その実りを味わう喜びでもあります。若い農夫のような素朴な気持ちで、外国語や日本語を学び、世界の文化に親しみ、世界と日本社会の現実を知り、生きて、ここにあることの喜びを経験してください。
社会に出てからは、その蓄積をバネに、思いきりはばたいてください。皆さんの努力と活躍によって、NUFS の輝きと未来もまた、日々、更新されていくことでしょう。