卒業生・大学院修了生へのメッセージ
大学院修了式・卒業式にあたり、ひと言、お祝いと餞の言葉を述べさせてください。この喜ばしい門出の挨拶には少し似つかわしくない、シリアスな話題を取り上げることになります。でも、どうかお許しいただきたいと思います。
ご存じのように、世界はいま、核戦争の危機という大きな不安のなかに立たされています。世界終末時計も、つい最近、十秒針を進め、「人類滅亡まで過去最短」となる残り九十秒を指すにいたりました。三年ぶりの更新は、いうまでもなく今述べたロシアによるウクライナ侵攻と世界的な異常気象が大きなファクターをなしています。そうとはいえ、「人類滅亡」というこの不吉なひと言も、ウクライナからはるか遠く隔たった私たちの日本では、他人事のような響きをもっています。戦争は今後、一、二年、いや、それ以上続くと見られていますが、正直なところ、どの見方も推測の域を出ていません。ここでひとつお願いがあります。戦争と大地震の犠牲となった人々を偲んで、二分ほど音楽に心を浸してほしいのです。
しかし世界には、こうした大状況だけでなく、小状況においても危機が頻発しています。連日、ニュースをにぎわせている詐欺、横領事件。いったい、世界はどうなってしまったのでしょうか。二極化が進むなか、富の幻想が、ますます私たちの心を卑屈にしていきます。私の率直な感想を述べるなら、私たちは総じて、平凡な日常生活を幸せと感じる余裕を失いつつあります。その根本原因はどこにあるのでしょうか。ことによると世界の多くの人々が、いつのまにか「前かがみ」の日常に慣れ、まなざしを遠くへ向ける余裕を失っているからではないか。ここで私が言う、「前かがみ」の日常について、あえて踏み込んで説明することはしません。しかし、こんな時代だからこそ、まなざしの角度を少し上げ、まっすぐに正面を見つめる習慣を持ちたい、と思うのです。私は、夕暮れ時の美しい紺碧の空を見るたびに、生きる喜び、生きる幸せを感じます。人生を長く生きたいと思う瞬間が訪れるのはそんなときです。そして幸せの感覚は、存在の自覚、生きているという事実そのものに源があります。生きて、ここにある、という喜びを人生のなかでどれだけ多く味わえたか、人生の真の勝者というのはその一点で決まるというのが、私の持論です。
最近、都心の大型書店のコーナーに立ち寄り、驚くべき光景を目にしました。おびただしい数の詩集が書棚全面に所狭しと並べられている。七十四年の人生で、これほどにも人々が詩のジャンルに注目しているのを見るのは、初めてのことです。嘘、偽りの言葉が溢れかえる現代において、人々は、真性な言葉を求めて必死です。それほどにも真実に飢えている。だから嘘の入りこまない、詩の世界に浸りたいと願う。最近私は、谷川俊太郎さんの詩集『幸せについて』を手に入れました。そこにはこう書いてありました。
最近、都心の大型書店のコーナーに立ち寄り、驚くべき光景を目にしました。おびただしい数の詩集が書棚全面に所狭しと並べられている。七十四年の人生で、これほどにも人々が詩のジャンルに注目しているのを見るのは、初めてのことです。嘘、偽りの言葉が溢れかえる現代において、人々は、真性な言葉を求めて必死です。それほどにも真実に飢えている。だから嘘の入りこまない、詩の世界に浸りたいと願う。最近私は、谷川俊太郎さんの詩集『幸せについて』を手に入れました。そこにはこう書いてありました。
ときどき思う、/死んでからヒトは、生きていたことが、/生きているだけでどんなに幸せだったか悟るんじゃないかって
さて、私は今日のこの卒業式の式辞を構想するにあたって、以前から気になっていた本を手にとりました。その本には、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が、今から二十年近く前、アメリカのある大学の卒業式で行ったスピーチが引用されていました。
「私は、十七歳のときに、こんな言葉に出会いました。『今日を人生最後の日だと思って生きれば、いつかは必ずその日が来る。』その言葉は印象的で、それ以来三十三年間、私は、毎朝、鏡を見て問いかけています。『かりに今日という日が人生最後の日だとして、自分が今やろうとしていることをするだろうか?』と。その答えが、何日も『ノー』のまま続いたら、生き方を見直すべきだと思う。」
「私は、十七歳のときに、こんな言葉に出会いました。『今日を人生最後の日だと思って生きれば、いつかは必ずその日が来る。』その言葉は印象的で、それ以来三十三年間、私は、毎朝、鏡を見て問いかけています。『かりに今日という日が人生最後の日だとして、自分が今やろうとしていることをするだろうか?』と。その答えが、何日も『ノー』のまま続いたら、生き方を見直すべきだと思う。」
ジョブズ氏の名言として広く知られている言葉ですから、ご存じの方も少なくないでしょう。そのジョブズ氏がこの世を去るのは、このスピーチから六年後のこと。彼はすでにこのスピーチの段階では自分が重いガンの病に侵されていることを知らされていました。そして最後の六年間に、iPhone、iPadなど、ほとんど人類史的ともいうべき発明を次々と世に送りだしていくのです。彼は人生のゴールをめざし、常人では考えられない精神力で走り続けました。そのジョブズ氏が、同じスピーチで次のようにも述べているのです。
「死ぬということは、おそらく生命の唯一最高の発明です。 (Death is very likely the single best invention of Life.)」
「死ぬということは、おそらく生命の唯一最高の発明です。 (Death is very likely the single best invention of Life.)」
そしてその言葉を次のように説明づけるのです。
「死とは、チェンジ・エージェント(Change Agent)、すなわち、変革の推進役なのです。古いものを一掃し、新しいものを生み出す。今は新しいあなたたちも、いずれ遠からぬ日に徐々に古きものとなり、排除されることになります。あなたの時間は限られています。ですから、他人の人生を生きて無駄にしないように。ドグマに囚われてはいけません。ドグマとは、他人の思考の結果で生きることを意味します。」
「死とは、チェンジ・エージェント(Change Agent)、すなわち、変革の推進役なのです。古いものを一掃し、新しいものを生み出す。今は新しいあなたたちも、いずれ遠からぬ日に徐々に古きものとなり、排除されることになります。あなたの時間は限られています。ですから、他人の人生を生きて無駄にしないように。ドグマに囚われてはいけません。ドグマとは、他人の思考の結果で生きることを意味します。」
ジョブズ氏は、ことによると人類が「前かがみ」の生活にはまりこむ一つの大きなきっかけを作った張本人ということができるかもしれません。端的にスマートフォンの功罪については、それこそ人類史的なバランスシートの上で検討されなくてはならない課題だと思います。しかし今日のこの式辞は、そのこと自体がテーマではないのです。
今、皆さんは、まさに人生の新たなスタートラインに立っています。ジョブズ氏の言葉が私たちに響くとしたら、それは、彼が、どんな逆境にあっても自分の直観と生命の力を信じるという気持ちを失わなかった点にあります。若い皆さんが、過剰に死を意識する必要はありません。なぜなら、客観的に見て、皆さんには途轍もなく長い人生が約束されているのですから。しかし、その長い人生に区切りを設け、節目を意識しながら生きる、という態度は大いに求められてしかるべきだと私は思います。「人生百年」ではなく、人生十年、そう、十年を一区切りに、自分の人生を設計し直していく。そうして十年の人生を、十回生きる。それならば、毎朝、鏡に向かって自分に問いかけ、人生最後の日を意識しつつ新たな決断を下すことに怖気づくこともありません。十年十回のすべてが失敗に終わるということはまずありえないからです。しかし、幸運をつかむうえで大切なのは、ジョブズ氏の言うドグマに囚われることなく、自分の心と直感に寄りそう勇気と無欲さです。しかしそれはたんに幸運をつかむためだけのあるべき姿勢ではなく、人生の幸福をしっかりとその手にするために不可欠な姿勢ともいえるのです。幸運と幸福は異なります。ドグマに囚われ、他人の思考の結果にすがって生きようなどと考えてはいけません。人間には、自分に見合った幸福があります。そしてその幸福の姿を、じつは皆さんはすでに自分の心と直観で理解しているはずなのです。私は、コロナ禍のもと、世界の人々と繋がりたいと思ってひと月ほどオンラインで世界の人々と話をしたことがあります。そこで出会ったのは、生命の喜びをかみしめながら慎ましく生きている人々の姿でした。世界は広い。自分と同じ価値観をもち、同じ小さな幸せに生きがいを見いだしている人が無数にいる。自分の小さな幸せが、じつは世界と繋がっている。では、その世界とは何なのでしょうか。先ほども引用した谷川俊太郎さんが書いています。
ちいさな幸せは/根っこで大きな幸せと/つながっているから/ジグゾーパズルの/一片ではない
どうか、人生が与えてくれる小さな幸せを大事にしてください。小さな幸せに自足しようとする精神は、大きな幸せを手にするよりもはるかに高い知性を要求します。そしてその高い知性とは、ジグゾーパズルの平面的な図柄からは見えない奥深い生命の息づきに裏打ちされた世界です。
それは、たとえば、今日、お聴きいただいたバッハの、わずか三分強の音楽に匹敵する無限の力を帯びた魂の世界なのです。作品番号はBWV639、力を落とした時にも、歓びに包まれた時にも心の奥深くに浸みわたる音楽、この音楽を生涯の友としていただきたい。
それは、たとえば、今日、お聴きいただいたバッハの、わずか三分強の音楽に匹敵する無限の力を帯びた魂の世界なのです。作品番号はBWV639、力を落とした時にも、歓びに包まれた時にも心の奥深くに浸みわたる音楽、この音楽を生涯の友としていただきたい。
2023年3月22日
名古屋外国語大学長 亀山 郁夫
名古屋外国語大学長 亀山 郁夫