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講演会「その一球を見ろ!スポーツライターの目」 を開催しました



開催報告

名古屋外国語大学の卒業生で現在、ノンフィクションライターとして活躍している鈴木忠平さんの講演会「その一球を見ろ! スポーツライターの目」が5月17日、名駅キャンパスで開催されました。在学中やスポーツ新聞の記者として駆け出した経験など、興味深いエピソードを語っていただきました。以下は講演の要旨です。

ノンフィクションライター 鈴木忠平さんの講演要旨

【その一球を見ろ! スポーツライターの目】

高校時代はサッカー少年でした。強豪の(愛知県立)熱田高校にいましたが、自分よりうまい奴はいました。なんとなく第2希望の大学に入り、サッカー部に入り、友達と飲んで、バイトして…となんとなく過ごしていました。もちろん楽しかったが、自分が何故ここにいるのかはずっと分からないまま大学時代を過ごしていました。

ただ一つ鮮明に覚えていることがあります。3年生の年(編注:1998年)、サッカーのワールドカップ(W杯)に初めて日本代表が出場しました。友達が「フランスに行かないか。W杯を見に行かないか」と誘ってくれました。何人かでツアーに申し込みました。

ところが、約束されていたチケットが手に入りませんでした。申し込んでいたツアーは、土壇場でキャンセルになったのです。現地でチケットが手に入る保証はない。一緒に行くはずだった仲間の何人かは「じゃあやめよう」。結局、私と言い出しっぺの友人の二人で出かけることにしました。

私たちは観光をすることもなく、まずはチケットを見つけなければなりません。見ようとしていた試合は、グループリーグの日本とクロアチア戦。会場があるナントの町に出かけましたが、やっぱり手に入らない。路地裏に入ったら「チケットあるぞ」と若者が声を掛けてきました。とにかく欲しかったので、付いて行きました。薄暗い倉庫での取引で、まずは「金を出せ」ということに。大して高くはなかったから、お金を出しました。すると、相手の一人が「警察がいないかどうか確認するから、お前達はチケットを見ておけ」と言って出て行きました。おかしいなと思ってチケットを確認すると、既に終わった試合のものでした。

私は瞬間的に彼らを追いかけ、つかまえることができ、お金も返ってきました。大学に入ってずっと無気力だった自分が、その瞬間はとても生き生きとしていたことに気づき、嬉しかった。最終的には、暗くなってから、あるご夫婦からチケットを譲っていただきました。日本は負けてしまったのだけれど…。

この経験が、その後どういう意味を持つかなんて考えていませんでしたが、これが大学の4年間で最も印象に残っていることです。フランスでは、スタジアムの周りで日本の雑誌社から取材を受けました。その人達はとてもまぶしく見えました。私たちはバイトでやっとの思いで貯めた金を持ってフランスへ行き、水しか出ない安ホテルでフランスパンをかじっている。でも、この人達は会社のお金でサッカーの試合を見ることができる。いいなあ、と。

私たちの時代は4年生の初め頃に就職活動が始まりました。当時、名古屋外国語大学でマスコミ、新聞社を目指していたのは私だけだったと思います。大学にそのための情報はありませんでした。片っ端から20社ほど受けましたが、どこも決まらず、4年生の終わり頃に日刊スポーツの採用試験に引っかかりました。だめだったら、もう一年やろうと思っていたのですが…。

高校以来、自分への期待値はどんどん下がっていて、就職してからもそんなに自信はありませんでした。最初に担当したのは駆け出しの記者がよくやる地方版で、名古屋本社だったので「東海版」という紙面を担当しました。高校野球とか大学野球、少年スポーツなどを取材しました。どんどん下がっていた自分への期待値がそこでほぼゼロになるんですが、記事をよく間違えました。

新聞の使命は、正確に伝えること。固有名詞や数字は絶対に間違えてはいけませんが、自分はそれをよく間違えました。「赤字を出す」というのですが、読者の信用を失うこの「赤字」を連発しました。確認したつもりでも抜け落ちている部分がありました。ある日、デスクに呼ばれ「赤字が多すぎる。このままだと、新聞記者でいられなくなるぞ」と言われました。記者を目指して入社した者は、誰でも記者でいられなくなることを恐れています。最後通告でした。

そのデスクは「提案がある」と、私にプロ野球を担当するように言いました。当時、それは花形記者の仕事。でも、記録の提供などがしっかりしているし、複数の記者が取材するから「大丈夫だろう」という、そんな理由でプロ野球担当を拝命したわけです。

相変わらず、それでも「誰かが僕を見ていて、どこかに引っ張り上げてくれるんじゃないか」といった、かすかな期待を持ち続けていました。そんな自分に「待つことをやめた日」が訪れた…というお話をしたい。(配付資料を紹介)

この場面は2006年のことです。プロ野球担当記者は、担当するチームと1年間ずっと生活を共にします。家族よりもチームと一緒にいる方が長いくらいです。人気コンテンツだから、グラウンドには選手よりもメディアの方が圧倒的に多い。その中で私は末席にいた記者で、自分から何か質問をしたことなどほとんどありませんでした。でも、代表質問をする社があり、ついて行けば仕事になる。何の疑問もなくそんな仕事をしていました。

そんな中、落合(博満)さんが監督になりました。それまでの監督とはずいぶん違っていました。まず、しゃべらない。親会社が新聞社だから、歴代監督はリップサービスというのがありました。落合さんは、一切そういうことをしなかった。「聞きに来るなら一人で来い」というスタンス。ベテランだろうが、新米だろうが「一人で来たヤツには答える」というのが暗黙のルールでした。

チーム内で立浪(編注:和義、2022年から中日監督)選手の処遇を巡る波風が立ったとき、「落合監督が立浪をはずそうとしている」状況がありました。選手が落合監督に反感を持つようになっているという話が聞こえてきました。「この人は何故、反感を買うようなことをするのだろう。何故現状を受け入れることができないのだろう。批判を受ける気持ちってどんなものなんだろう」と、とても気になり、(落合監督の)東京の自宅を訪ね、一対一で聞いてみようと思いました。

私は小田急線に乗って、落合さんの家へ行きました。もちろん一人でなければしゃべってくれないが、やっぱり怖いんですね。腰が引ける気持ちもあって、駅から自宅まで歩く途中、何度も「やめよう。引き返そう」という気持ちになりました。それを聞いたからと言って、特別なスクープ記事を書けるわけじゃないし…。

その時、心に浮かんだのは、大学時代にチケットを持たずにフランスへ行ったことでした。何の保証もないのだけれど、私たちをだました奴らを追っかけて…。それは素直な「衝動」でした。落合さんの家を訪ねたことも、僕にとっては「衝動」でした。衝動の先に何が待っているのか、僕はうっすらと分かっていたように思います。自宅前で待っていたら、出てきた落合さんは「お前一人か」と聞き、迎えに来たタクシーに乗せてくれました。それから1時間の車中、独占取材ができました。車内はとても緊迫していましたが、球場にいるときと違って、聞けば「扉を開けてくれる」状況でした。横浜のホテルに着いて別れたのだけれど、そこではフランスで経験したこと、つまり自分で自分だけのものをつかみ取った感覚がありました。

タクシーの中で聞いたことは、私しか知らないこと。他の記者には書けないこと。そういうものを手にすると、全部ではないが記事に出てきます。それを繰り返していくうちに、周りの目が変わってきました。私は誰かの後に付いていくことをやめるようになりました。自分の「衝動」に従って、一人になるようにしました。それが何年後か、自分が初めて書いた長編のワンシーンになったのです。

その時は思いもしなかった。将来それが役に立つかどうかなんて、その時は考えていない。でも後で振り返るとそうなっている。自分が学生の皆さんに伝えられることは「この勉強が将来役に立つよ」というようなことではなく、「あなたに何かの衝動があるのなら、それに従ってみよう」ということです。

もうすぐデスクという段階で、私は新聞社を辞めました。ナンバー(編注:文藝春秋が発行するSports Graphic Number)という雑誌で、以前、覚醒剤で逮捕された清原(和博・元プロ野球選手)さんと会った。すごく怖かったけれど、これもやはり衝動に従いました。(編注:『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』を刊行)

これさえあれば人生が進んでいくというものはほしい。でも、衝動を覚えたらそれに従ってほしいと思う。


開催案内

2023年5月17日(水)、講演会「その一球を見ろ!スポーツライターの目」を開催します。

大学を卒業後、プロのライターを目指す人は少ないと思います。鈴木忠平さんは日刊スポーツ新聞の記者などを経て、ノンフィクションライターとして独立しました。その注目作が『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたか』(文藝春秋)で、大宅壮一ノンフィクション賞など著名なノンフィクション賞を同時受賞しました。ノンフィクションというジャンルは取材対象を定めてフィクション(物語)ではなく、事実を客観的に記録し、文章表現する方法です。スポーツ記者はどんな目で誰を、そして何を追い、誰に迫ったのか。その経験からにじみ出る話に興味は尽きないでしょう。

イベント概要

申し込み方法

タイトル 講演会「その一球を見ろ!スポーツライターの目」
開催 名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンター主催
対象 本学学生、本学教職員、一般
日時 2023年5月17日(水) 15:00~16:30
会場 名古屋外国語大学 名駅サテライトキャンパス ME10教室
(BIZrium名古屋6階、イオンモール Nagoya Noritake Garden 併設) 
アクセスマップはこちら
講師 鈴木 忠平
その他 参加無料、要申込、先着順
問い合わせ 平日10:00~16:00
名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンター
Tel :0561-75-2164(直通)
E-mail: wlac_gg★nufs.ac.jp (★を@に変えて送信してください)
準備の都合がありますので、事前のお申し込みをお願いいたします。
申し込みフォームに必要事項を入力、送信してください。
※オンライン参加者には事前に招待URLを送付いたします。


申込締切:5月12日(金)17:00まで
※応募者多数の場合は先着順とさせていただきます。
※定員になりましたら締切日前でも募集締切とさせていただきます。
2023.5.17 講演会講演会「その一球を見ろ!スポーツライターの目」参加申し込みフォーム

講演者プロフィール

鈴木 忠平(すずき ただひら)

1977年、千葉県生まれ。愛知県立熱田高校卒、名古屋外国語大学国際経営学部卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球を担当。2016~19年まで文藝春秋「Sports Graphic Number」編集部所属。その後、フリーライターとして活躍。2021年に刊行した『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたか』でミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社本田靖春ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。ほかに『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』など。

WLACからのお知らせ

対面参加をご希望の方へ

以下の点をご確認・ご理解いただいたうえでのご参加をお願い申し上げます。

□以下の事項に該当する場合は、参加をご遠慮ください。
・体調がよくない場合 (例:発熱・咳・咽頭痛などの症状がある場合)
・同居家族や身近な知人に感染が疑われる方がいる場合
・過去14日以内に政府から入国制限、入国後の観察期間を必要とされている国、地域等への渡航又は当該在住者との濃厚接触がある場合

□マスクの着用は個人の判断にゆだねます。

□こまめな手洗い、アルコール等による手指消毒を実施してください。

□他の参加者、主催者スタッフ等との距離(できるだけ2mを目安に(最低1m))を確保してください。

□イベント中に大きな声で会話をしないでください。

□感染防止のために主催者が決めたその他の指示に従ってください。

□イベント終了後2週間以内に新型コロナウイルス感染症を発症した場合は、主催者に対して速やかに濃厚接触者の有無等について報告をしてください。

イベントの開催にあたって

・本イベントにおける写真撮影や録音はご遠慮いただきますよう、お願い申し上げます。
 イベント中は記録用としてレコーディングを行います。
 本学ウェブサイトやその他の刊行物に、写真が掲載されることがありますのでご了承ください。

・Zoomの利用方法に関するお問い合わせにつきましては、ご対応いたしかねます。
 各自、事前に確認をしていただきますようお願いいたします。